雪列車


   
   
   雪列車
服部大次郎

 初めてなのにいつか見たことがあるような景色に遭遇すことがある。
モナコの公園が似ても似つかない日本の田んぼに見えてきたと言えば無理があろうか。
人は何も四角い枠から風景を見ている訳でも水晶体に映る風景を見ているものでもない。認識の範疇の外
に細胞感覚が眼以上に探査しているのである。
 夢であったり物心つくかつかないころの瞬間的な事実であったり傍らでささやく人の声の風景であったりする。
 五感、六感を通してさまざまな情報を収集しておく自動記憶装置である。後の解析途上にデジャブは
発生するが、内包する痛みを覚醒さす。
 意識下の精神に注目したシュルレアリストはフロイト的潜在意識下で詩や絵画にふけり結局は愉しんだが、
この潜在能力をいかに形にづけられるかが、今後のアスリートやビル・ゲイツ的人材の未来であり、
我々とて例外ではない。
森羅万象の時の刻みは見えるものを見えなくしたり、見えなかったものを露わにもする。
太陽、雨、風、夜、四季の果てに雪が降る。クリストもそばにも及ばない.
町も村も屋根も田んぼも一面の銀世界。窓枠から抜け出て、雪を歩きいつしか雪と遊んでいた。
たまに降る雪と言うこともあろうが、心踊るのは何故だろう。今もあのころも。
 この町を出よう。二度と戻らない。そう誓った栄光の日も同じように雪の日だった。
どこまでも平等に美しく変える雪だが、白と黒の世界にぽつねんと立つ人の影の傷心を知っているのか、
雪はやがて吹雪と変わった。
抗う気持ちはそこにはなく火宅の町も村も雪を迎えるように野生の子らを雪の子にする。 
 吹雪を突いてはしゃぐ子供らの声。それを追いかけて踏み切りの警報機が聞こえてくる。
 カーンカーンカーン。架橋から見下ろす鉄路の奥から黒がねの機関車が吹雪蹴散らし現れて通り過ぎていく。
 
”匂うように  笑うように 雪が降る
 白い景色 逃げるように 汽車は走る    
 ・・あのころが夢ならばこのままいく”

糸井重里作詞、坂本龍一作曲の「雪列車」が聞こえてくるようだ。
 
 
   

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